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ふきあいの略史 |
私達の住んでいる町は今は中央区と呼ばれていますが、ここは以前は生田区と葺合区と呼ばれていたところが合区したものです。生田、葺合と言うすてきな名前が中央と言う無味乾燥な名前に変わってしまったのは残念と言うほかありません。 それで中央区の東側が私達の住んでいるところで、こちらは以前は葺合区でした。で、その思い入れのある「ふきあい」について調べてみました。ふきあいのミニ知識です。 新撰姓氏録(815) 布敷首(ぬのしきのおびと)と称する豪族が住んでいたと記載。 布引滝(布を流したような滝)から? 芦の原が布を敷いたように見えるから? 和名類聚鈔(935) 布敷郷(−のさと)とこの辺りを呼んでいた。 鎌倉時代 @葦屋荘(=芦屋荘)? 葦を誤記して葺に A葺屋荘(かや葺の家が多くあった?) 中世〜江戸 摂津国莵原郡葺屋郷 莵原郡の西の端、隣は八部郡、境が生田川 摂津誌(江戸中期) 葺屋荘には 生田村、熊内村、中尾村、脇浜村、筒井村、小野新田 の6村があったと記載 明治初年 廃藩置県時(明治4年)にはそのまま旧藩所領地を単純に県名に 変えたため県がキメラ状になるなどの混乱が。 中村−−−−−尼崎藩→尼崎県 滝寺村−−−−古河藩→古河県(こがと読む、今の千葉県) その他の村−−天領→ 兵庫県(兵庫鎮台) 明治7年 生田村、熊内村、中尾村、中村、滝寺村、小野新田 の6ヶ村が集まって 兵庫県莵原郡葺合村に。旧名の葺屋荘は吹き屋(あばら屋)に 通じるので 葺屋の村々が合わさったと言う意味の葺合に。 明治9年 脇浜村を併合 明治20年 筒井村を併合 明治22年 兵庫県神戸市大字葺合 明治32年 兵庫県神戸市葺合町 この間葺合町内各区域は新町名で独立、葺合町と呼ばれる 地域は小さくなる(今の葺合町) 昭和6年 旧葺合町の各区域を合併して葺合区に 昭和56年 中央区に ふきあいの町名について 明治30年ころ神戸港とそれに付随する産業の隆盛に伴いインフラ整備の一環として旧葺合区各地域の区画、耕地整理と道路整備が行われた。このため新たに町名などを付ける必要にせまられ旧葺合区の各町通名はこの時に付けられたものが多く、名所布引の滝を詠んだ和歌(明治5年花園社[観光業者?]が布引の滝への散策道に布引の滝を詠んだ36首の歌碑を建立)にちなんで名付けられたものが多い。また大正5年ころにも新町名がたくさん誕生しているが、こちらは旧地名・小字名に、ちなんだものや滝勝寺と言って中世のころ非常に大きな勢力の寺がありそれにちなんだ地名が多い。 |