はなの妖精

 

  みなさん、この世には、目に見えない、色々なものが存在するのを知っていますか?
 現代では、目に見えないものと云えば、子供でも電波と、答えるかも知れません。
 電波と云えば、テレビとかラジオ、最近では、特に携帯電話等で活用されていますね。
 では、テレビもラジオも無い時代は、電波は無かったのでしょうか?
 今日のお話は、そんな事はどちらでも良い事ですが、神戸の人にとっては、身近なお話です。

 神戸の山は、今は緑でいっぱいですが、それは、今から百年以上も前の、明治の始めに、山に木を植えようと云う事になり、何年もかけて木が植えられました、それがだんだん育った結果が、今の六甲山なのです。
 それまでの、江戸時代の六甲山は、どんな山かと云うと、雑木だけで禿山に近い状態でした。
 そんな山に、誰が木を植えようと言い出したか、そのお話をしましょう。
 皆さんは信じられますか?、山には色々な妖精が住んでいる事を、森の妖精や、木の妖精、キノコの妖精たちが住んでいる事を。
 その妖精たちは、お互いに『ささやき』を使い会話をします、この『ささやき』は、普通は人間には聞こえません。しかし小さい子供のとき皆さんはきっと聞こえたはずです。木々の『ささやき』・小河の『ささやき』・風の『ささやき』など、いろんな妖精の『ささやき』が聞こえていたのを憶えていませんか。
 またこんな経験はありませんか、急に何かを思い出したり、急に何かの思いつきをする事、そんな事が多い人は、妖精の『ささやき』を受けやすい人なのです。

 明治の始めの頃、四国四万十川流域の山々に住む妖精たちは、阿波の国の山へ遊びに行くもの、伊豫の国の山へ遊びにいくもの、山から山へと色々なところへ行きます、妖精たちは行った先が住み心地良いと、そこで住む様になります。
 山だけでなく、春には畑にも菜の花やレンゲが咲き、野にはタンポポやすみれ、桜や桃が咲き、妖精の中でも花の妖精が一番楽しい時です。
 ある時、海を渡ろうと言い出した妖精が現れ、森の妖精や、花の妖精や、キノコの妖精たちで、勇気のあるものが海を渡る事になりました、四国から一番近くて一番大きな島、阿波の国の島である淡路島に渡りました。
 四国から来た妖精たちは、四国より気候が穏やかな、淡路島をすっかり気に入りましたが、もともともっと広い所に住んでいた妖精たちは、更に海の向こうに、四国にひけを取らない山があるのを発見していたのですが、淡路島から見た感じでは、色々な妖精たちが住めるような山ではなさそうです。

 淡路島に住む妖精に、海の向こうへは行った事があるかとたずねると、行っても住むことが出来ない事を説明されました。
 四国から来た妖精たちは、気候が穏やかそうで、四国のようにひょっとすると、それよりも大きな山がありそうな、淡路島の向こうに住めたらナーと思い考えました。
 特に良い考えは浮かびません、もともと妖精たちのどの仲間も、ここに住みたいと思っても、自分たちで住めるように出来る力は持っていません、住めるようになっているところに住むだけです、でも海の向こうの山をあきらめ切れません。
 そして、ついに妖精たちの大集会が開かれました、異例の事です、妖精たちは、普通は自分たちが住める所があれば住むだけです、住める様にするために集会を開くなんて前代未聞の事です。
 沢山の妖精たちが集まって協議しても、普通の人間と話が出来るわけでも無く、自分たちで、何かの仕事が出来るわけでも無く、やっとの思いで決められたのは、海の向こうに住んでいる人間たちに、「山には木がある方がいいんだよ〜」「山は森になっているのがいいんだよ〜」「花がいっぱいあると楽しんだよ〜」と『ささやき』作戦が決められたのです。

 もともと『ささやき』は、妖精たちの間で使っているだけで、人間との会話に使用をしている訳でなく、人間にはなかなか通じるものではありません、それでも毎日、毎日、その『ささやき』が淡路島から海の向こうへ送られます、妖精たちの中には、淡路島からの『ささやき』では弱すぎると云う事で、必死の覚悟で、明石や神戸へ渡って『ささやき』を送るものも出てきました。
 しかし、人間にしてみれば、何も見える訳でも聞こえる訳でもありません。
 何かの時に、山に木があったらきれいだろうな〜とか、山が崩れたりしたときに、木があったら崩れなかったのかな〜と思う程度です。
 でも普通なら、人間たちはそんな風に考えた事は、すぐに忘れてしまうのですが、沢山の妖精たちが、淡路島や、一部はすぐ近くから人間に向けて『ささやき』を送り続けています。
 明治より以前、摂津の国や摂州と呼ばれ、神戸の事は、摂津国の、かんべと呼ばれていました、この「かんべ」をおさめていた人達も一般の住民も、山に木を植えると云う事は出来るのだろうか?と言い出しました、1人が言い出すと、全員が妖精に『ささやき』を送られているから、そうだそうだ、木を植えた方が良いと云いだし、遂に山に木を植える事が決まり、沢山の木の苗が植え始められました、それからしばくして、「摂津のかんべ」が神戸と呼ばれるようになってからも、次々と木は植えられ、手入れがされる様になりました。

 土佐の四万十から、淡路島に来ていた妖精も、淡路島に住んでいた妖精たちも、次々と神戸や明石の山に移って来ました。
 山だけでなく、神戸全域が、予想どおりの穏やかな気候で、木の妖精も、キノコの妖精も、花の妖精も住み良い楽しい所だと思っていました。
 しかし、人間たちは馬鹿な事を沢山します、遠い海の向こうの人達と喧嘩をして、喧嘩の道具を作るために、沢山の木を切ったりします、せっかく育てた木を切って、切った跡をほったらかしにしたりします。
 特に嘆いているのは花の妖精です、今まで楽しかった場所が、急速に住みにくくなり、ビルが建ち、道路さえ土がなくなり、とても花の妖精が住む事など、考えられなくなってきました。

六甲山系、摩耶山のあじさいの名所に住む、あじさいの妖精たちは、その昔、六甲山が禿げ山だったころ、妖精の仲間たちで、神戸に向け『ささやき』を送った頃の事を思いだし、もう一度、頑張ってみようと言い出しました。

 六甲山に住む、他の妖精の仲間にも相談すると、それが良いという事で、あじさいなど、花の妖精だけでなく、他の妖精たちも神戸の街全域の人間たちに『ささやき』を送ろうと言い出しました
 摩耶山の、あじさいの妖精たちは、仲間の賛成で心強くなり頑張る事にしました。
 仲間の妖精たちに負けないようにと、あじさいの妖精たちは、自分たちが『ささやき』を送る場所を相談しました。
 その結果、神戸の一番中心的な位置の、三宮は、フラワーロードと云う、きれいな名前がありながら、妖精がくつろげる様な所がなく、三宮の駅の近くは、人間たちのマナーも悪く、とても花の妖精が住める様な場所ではありません、でも人通りは多く、この辺りが、妖精の住める様な街になったら、楽しいだろうと云う事になり、決定しました。あじさいの妖精たちは、懸命に三宮の駅の周辺の人に『ささやき』を送り始めました。

 でも、三宮の駅の周辺や、フラワーロードの周辺は、人間達が沢山いるのですが、それは昼間だけで、夜になると居なくなる人達ばかりで、なかなか『ささやき』の効果が出て来ません。

 それでも妖精たちは何とかしなければと、けなげに『ささやき』を送り続けます。
 何年も続けたら、変化が現れ始めました、効果が出てきたのです、市役所の周辺に花壇を作る事になり、そこには時計までが付いて花時計と云うのも出来ました。妖精たちは頑張ります、あじさいの妖精は『ささやき』を送り続けます。
 ある時、三宮の駅のすぐ横の商店街、三宮駅東問屋街と云うのが、突然、あじさい通り商店街に替わりました。

 理由は、ある時、商店街の人が、神戸の中心の街でありながら、あまりにも汚い街だと云う人が現れました、周りの人達は、何時も『ささやき』を受けている人達ばかりです、何とかしなければと云う意見が一気に増え、きれいにしよう、美しい街にしようと云う声が高まり、ついに、商店街を、神戸の市花である、「あじさい」と言う名前が付けられたのです。決して偶然な事ではなかったのです。
 あじさいの妖精たちは喜びました。商店街の名前が、自分たちの名前に変わった、もう一息と『ささやき』を頑張りました。その効果が出ました。商店街の人達は、今度は、花びらで絵を描くと言い出しました。チューリップの花びらを運んで、商店街一杯に敷き詰めて、それで色々な絵を描くのです。

 そしてついに、花の妖精の仲間がたくさん住んでいる富山からチューリップの花が運ばれてきました。花の妖精達は楽しくて仕方ありません。その時は、花の妖精たちは全部あじさい通りに集まります。
 驚きました。花の妖精だけでなく、人間達も沢山集まってきました。みんな楽しそうです。最近は、あじさい通りだけでなく、他でも道路一杯に絵を描いています。花の妖精にとっては、どちらでも良いことですが、人間達はそれをインフォラーターと呼んでいます。
 妖精たちは、あっちこっちに行けるので大変楽しくなって来ています。

 でも妖精たちは少し寂しい気持ちが残っています。
 チューリップは花びらだけです、人間たちの云う、インフォラーターが終わると少し寂しいのです。
妖精たちは、もっともっと住める場所がほしいのです。
花の妖精たちは、花があって、人間たちがきれいだなーと感じる、そんなところにしか住めません、時々行けるところでなく、ずっと住み続けられる所がたくさんあると楽しいなと思っています。
 時々、妖精の気持ちが通じない人間もいますが、目をつぶって見て下さい、あなたがいい人なら、目をつぶったまま静かにしていると、可愛い妖精たちの舞う姿が現れ『ささやき』を感じる事ができるかも知れません。

 

 

 神戸の3大イベントと言えば、春のインフォラーター・夏の神戸祭り・冬のルミナリエでしょうか。れはそのインフォラーターでおなじみの三宮あじさい通商店街のお話です。
 六甲山は明治中期ころまで樹木がほとんどなく、六甲山を海上から見た植物学者・牧野富太郎は「最初は、雪が積もっているのかと思った」と言ったように荒涼とした禿げ山でした。
 「ささやき」って妖精たちの言葉ですが、もちろん声に出してしゃべっているわけではありません。ですから人には聞こえたりはしません。SFチックに言えばテレパシーのようなものでしょうか?
 六甲山の緑化は旧居留地の外人たちも、夏の避暑地やリクレーションの拠点として積極的に行いました。特に英国人アーサー・ヘスケス・グルームが中心となり緑化・開発の中心となったそうです。