市 の 猫

 むかしむかし、この辺りがまだ開ける前のお話です
 この頃の、この里の人達は、夜も明けぬ頃から、どの家の人達も、全員が畑に出て、耕す者、草取りをする者、種を撒く者、老いも若きもみーんな働き者です。
 子供と云えば、大きな子供が小さい子供の面倒をみるのが当たり前の事になっています。
 この里で暮らす粂造の家でも、家族全員が働いていますが少し困ったことがあります。

 粂造の家では、ゴンタと呼ばれる犬と、テツと呼ばれる猫がいます。犬のゴンタは、荷物を運ぶときに引っ張ったり、夜には見張り番などをして働いていますが、猫のテツは何も出来ることがありませんでした。
 この時代は「働かざる者喰うべからず」が当たり前の時代です。
 働いていないのは、病人と赤ちゃん位です。
 それなのに、よく考えるとテツは何も手伝いはしていません、手伝っていないと云うよりは、手伝える事がなく、テツ自身も困ってしまいます。

 人間達は、テツを見ると、「お〜い、テツ、お前も何か手伝って呉れないか〜」とか「テツはイイナー、何時もひなたぼっこで」とか、特に忙しいシーズンには「あーあ、猫の手も借りられたらなー」と云います。
 その度に、テツもドキッとして、もう自分には食事を貰えなくなるのではないかと思い、何時の頃からか、食事を貰うと必ず、少し食べ物を残す様になりました。
 猫が食べ物を残すのはこんなところに原因があるのかも知れません。

 ある日、粂造は変な事を言い出しました。自分たちは、毎日畑を耕し、野菜を作り生活をしているが、遠くに見える山には、人が住んで居ないのだろうか?まだ見た事もない海では、人はどんなものを食べているのだろうかと疑問に思いました、里の人達に尋ねてみましたが、この時代、自分の生まれた村から離れて、よそへ行くなんて、せいぜい隣の村までくらいが関の山です、誰もそんな事は知っている者がいません。
 粂造は、真面目な男だけに、そのことを考え出したら居ても立っても居られなくなり、村の人達に相談をしました、村の人達は、「あても無く山の中に入っても人が住んでいる所は見つかる筈はず無い」と云う者や「そんな事をしたら熊か鬼に喰われて二度とこの村には戻れない」と云う者、中には「この村は平和だが、よそには魔物が住み着いている所があるから行けば取り付かれる」などと殆どの人達が村から出るのを反対しました。

 しかし、村の村長は少し意見が違います、「自分がしようと思う事を実行する時が一番力が出る時で、ひとがしない事をするのが大切な事、反対する人の云う事を心配するより、自分でしようと思うなら、命を張ってでも行きなさい」と今まで聞いた事のない厳しい口調で云いました。
 粂造も村の者も、平和な里に居る為、村長のこんな説法を聞いた事が無く、びっくりしていましたが、粂造はこれで一代決心をしました。
 お供に、ゴンタとテツを連れて行こうとしました、ゴンタはもうその気になって張り切っていますが、テツはゴンタの様に荷物を持つ自信もなく、それより、村の人達の色々な話を聞いてしまったテツは恐ろしくてとてもお供はできません、仕方なく粂造はゴンタだけをお供に旅に出ました。

 道なき道を何日も進み、やっと山の人達が生活をする集落を見つけました。
 その集落の人に、自分は里の村から来た事を説明すると、大変な歓迎をされ、何もないがご馳走をしようと云い、熊やら、イノシシやら、鹿などを見せられた、粂造は生まれたときから里で育っており、どれも見るのが始めてで、驚いてしまいました、もっと驚いたのは、食べてみると、どの肉もおいしいと云う様なものではありません、今までに食べたこともないだけにすっかり感激をしてしまいました。
 お供のゴンタも、粂造から、食べた後の、肉がちょっとだけ残っている骨を貰いましたが、これを食べたゴンタは、おいしさのあまり、いっぺんに沢山ほうばりすぎて、ほっぺたが落ちそうになり、すっかり骨が大好物になってしまいました。

 粂造とゴンタは、何日か居候をしていましたが持ってきた野菜を置いて、次は、海で生活をする人を捜すために山を下り何日経ったか、やっと海に近い村を探しました。
 粂造はここでも驚きました、今まで話には聞いたことはあるが実際に見た事が無い、大きな動物が捕獲されており、よくよく見るとその動物と思ったのは大きな魚でした。
 この海に近い村でも、自分は里に住む粂造だと云う説明をすると、めずらしい客だと歓迎され、先ほど見た魚を料理して食べさせてくれました、それから数日の間、色々な魚を沢山食べさせて貰い、粂造は、こんな骨が少ない魚を食べた事がない、こんな塩味が聞いた魚を食べたことが無い、何を食べてもめずらしいのと、おいしいものばかりです、犬のゴンタもうれしくてたまりません。

 ゴンタは、帰る時にサンマを一匹もらい仲良しのテツに持って帰ってやりました。
 何の手伝いも出来なかったテツは、ゴンタからのおみやげを貰うのは気が引けましたが、このサンマを食べた途端、生まれてから今日まででこんなにおいしと感じた食べ物は初めてです、ゴンタの話では海にはこんな食べ物ばかり沢山あったと云う事です、こんな事なら自分もお供で付いて行けば良かった、もう自分の好物はこれしか無いと思いました。

 それから何日経った頃か、粂造が暮らす里の村に、山の村の人と、海に近い村の人とが尋ねて来ました、そして両方の村の人から、粂造は意外な事を聞かされました。
 あのときに貰った野菜が、今までに食べたことの無いとてもおいしい野菜だった、是非もっと食べさせてほしい、分けてほしいと云う事でした。
 粂造にしてみれば、自分たちが作っている野菜より、あの肉の味、魚の味が忘れられない味なのに、山の人も、海の人も、野菜の味が一番だと云います。
 又、粂造は考えました。何か良い方法はと。

 村の人達とも相談しました。
その結果、野菜や穀物を時々、山の人と海の人に代わる代わる来て貰い、野菜と、肉や魚を交換するのが良いと云う事になりました。
 ところが、山にも、海にも野菜の収穫を告げに行くには道中が険しく何日もかかります。
 そんなに日にちを掛けていたのでは、野菜がしおれてしまいます、何か良い方法はないものか、誰かが早く、山や海へ告げにさえ行く事が出来たら、その間に準備が出来るが、険しい道中をそんなに早く行けるものは誰もおりません、折角の良い方法もどうにもなりません、村の人達は悩んでしまいました。

 ある日テツが聞きました、テツはゴンタに山の村までどんな道だったか、海の村までどんな道だったかと。
 テツの目が輝きました、これなら、自分に出来る、誰よりも自分の仕事だと判断しました、険しい山も谷も、テツは木から木へ、谷から谷へ飛び越えられます、テツは粂造に「使いは自分が行く」と名乗りをあげました。

 それからというものは、野菜の収穫、ひえの収穫、キビの収穫が出来る度に、テツは山へ、海へ使いに行きます、テツが使いに来ると、山の人達は肉と野菜を交換に来ます、海の人が魚と交換に来ます、時には、山の人と海の人とも交換をする様になり、山の人も、海の人も、テツが使いに来るのを待つようになり、「猫が招きに来るのはまだか」、猫が招きに来て呉れると、山の村も海の村も、みんながおいしいものが食べられると云う事でお祭り気分で、楽しみにする様になりました。
 何年もこんな事が続き、この交換をする日が「一番良い日」と思う様になり、山の人も、里の人も、海の人も、この日の事を「一番良い日」と云う事から、「一番の日」が「市の日」と云う様になり、それが市場の始まりとの事です。

 又、山の人も、里の人も、海の人も、猫のテツの事を「招きの猫」と呼ぶようになっていたことから、テツが居なくなってからも、良いことが起きるまじないに、布で作った猫を飾り、幸せを招く猫としてみんなが祀る様になり、何時の頃からか焼き物でも作る様になりました。
 何時のころからか、中西市場ではお店の前に、招き猫を飾る習慣があり、招き猫は昔から、中西市場のシンボルだと云うことです、ひよっとすると、猫のテツが使い走りをしたのは中西市場のことなのかも知れませんネ・・・・・・

この「市の猫」は中西市場のお話です。