はじまり、 はじまり、 昔々、筒井村の西の外れ、今のかすがの坂のあたりに竹次郎ともえという仲の良い夫婦が住んでいました。 二人は働き者で、もえは何より心の優しい女房でした。 困っている人を見るとほっておくことができません。 そのために家は大変な貧乏でした。 それでも二人はせっせと働くのでした。 この二人の家の隣に銀蔵と言う男が住んでいました。 銀蔵はケチな上たいそうな意地悪で村の嫌われ者でした。 ある日、その銀蔵の家の前に、身なりの貧しい老人が今にも死にそうな様子で倒れていました。 髪はボサボサ、着物もボロボロでしたが、ひげだけは長く立派な老人でした。 銀蔵は 「やっかいな奴が現れた。」 と思いました。 「飯を一杯めぐんで、くれ。」 と言う老人に向かって 「他人様に食わせるような飯はねえ。」 とだけ言うと、ピシャと戸を閉めて家の中に入ってしまったのです。 そこへ畑仕事から帰ってきたもえが通りかかりました。 かわいそうに思ったもえは、家に入れてやり、なけなしの飯を喜んで出してあげました。 老人は、 「うまい、うまい」 と言って食べ、お礼に長い立派なひげを一本くれました。 そして 「何かとても困ったときに、これを池に浮かべて、願をかけるがよい。」 と言って山へと去っていきました。 もえと竹次郎は、またせっせと働く毎日に戻りました。 ―――ところが、あんなに元気者だった竹次郎が夏の始めころからふさぎこむようになりました。 畑しごとも辛そうになり、ある日ふとんから起き上がることもできなくなってしまいました。 竹次郎はもえの献身的な看病にもかかわらず日毎に悪くなるばかりで、とうとう明日をも知れぬ身となってしまいました。 頭をかかえたもえは、いつかの老人の言葉と、あの長い立派な一本のひげのことを思い出しました。 もえは、さっそくどこの池に浮かべたらよいか考えました。 そして思い当たったのが籠池でした。 籠池はかすがの坂をずっと北に上っていった突き当たりにありました。 今も籠池通という通の名として残っています。 なぜ籠池というかいうと、籠は目が粗くて、水を貯めることができないように、この池は漏水が多かったそうです。 しかしその籠池には龍神様が住んでいるとうわさされていたのです。 なぜならこの池は風も無いのに大きな波が立ったり、深夜にドボンという音がするので村の人たちはそれを龍神様のせいだと考え、籠池には龍が住んでいると思ったのです。 だから、もえは 「ひげを浮かべるのはこの池しかない!」 と思ったのです。 でもこんな漏水の多くて少ししか水のない籠池に龍神様が住んでいるはずはありません。 実はこの池に住んでいるのは"ナマズ"だっだのです。 昔からナマズが動くと地震が起こると言われているように、ナマズは一人では寂しいので、村人に忘れられないように、ひげを動かして、たまに水面を波立たせてみたり大きな音を立ててみたりしていたのです。 そしてそれを見た村人たちが龍神様がいると噂しているのが嬉しくて、たまにはお供え物ぐらい持って来ないかな、と期待している気のいいナマズなのでした。 もえは、老人に言われたとおり一本の長い立派なひげを籠池の水面に浮かばせて、竹次郎の病気が早く治りますようにと、心を込めてお祈りしました。 するとどうでしょう、水面に浮かんでいた長いひげは、まるで水中から何かが引っ張ったかのように沈んでいったのでした。 それを見たもえは龍神様だと思い、嬉しくなって急いで竹次郎のもとへと飛んで帰りました。 実は池の中にいたナマズが浮かんでいるひげを不思議に思い、 少し引っ張ってみたのです。 するとその瞬間、一本の長い立派なひげは突然きらきらと眩しく輝いて消えてしまったのです。 ナマズはただただ驚くばかりでした。 もえが家につくと、思った通り竹次郎は元気な姿に戻っていました。 もえは龍神様のおかげだと思い、 ひげを持って籠池にお祈りに行ったことを話しました。 さっそく二人は、籠池の龍神様にお供えを持ってお礼を言いに行きました。 何も知らないナマズはびっくりするのですが、 久しぶりのお供えに気分良く喜ぶ気のいいナマズでした。 不思議なことに竹次郎が直ったとたん、 今度は隣の銀蔵が原因不明の病にかかり、大変苦しんでいるというのです。 それを知った二人は、龍神様にお願いしようと、 再び籠池へと向かいました。 「龍神様、先日はおらの願いを聞いて下さって本当にありがとうございました。 今度は隣の家の銀蔵が病気にかかって苦しんでおるんじゃ。 どうかもう一度あのひげ・・ひげを下さらんかね。」 ともえは、必死の思いで池に向かってお願いしました。 池の底で聞いていたナマズはあせってしまいました。 そしてあの不思議なひげを思い出しました。 「そうか、あのひげは龍神様のひげだったのか。」 でも貰ったお供えはもう食べてしまつたので、何とかしなければなりません ナマズは考えた末、自分のひげをあげることにしました。 ナマズにはもともと四本のひげがあったので、気のいいナマズは二本のひげを池の水面に浮かばせました。 そして 「もえよ、よく聞け。『籠池の主はありがたい主』と百回唱えながら、かすがの坂を右回りに歩け。 唱え終わったら、そのひげを再びこの籠池に浮かべ願をかけるがよい。三日後、必ずその願いは聞き届けられるであろう。」 とでまかせを言いました。 その時もえが 「前のひげに比べると、とても短く頼りない」 と言うのです。 けれどもナマズにはあと二本のひげしか残っていません。 ひげがなくなったナマズは、ナマズではありません。しかもひげが無くなると前のように、うまく水中で音を立てたり、波を立てたりする事もできません。 大事なひげを思い切って二本もあげたのに、四本すべてとなると、ナマズにはこの上ない一大事でした。 悩みに悩んだ末、気のいいナマズは残りの二本のひげもあげることにしました。 これでナマズのひげは無くなってしまいました。 それでも気のいいナマズは、自分には何のカも無いけれど、自分を頼って何度もやってくるもえと竹次郎の気持ちになんとか答えたかったのです。 ひげを手にした二人は、さつそく言われた通りに試してみました。 するとどうでしょう。 銀蔵は一日ごとに良くなり、三日目には動き回れるほどによくなりました。 もえは銀臓に今までのことを話しました。 今度は三人でたくさんのお供えを持って籠池の龍神様にお礼に行きました。そして銀臓は、前に老人に冷たくしたことをあやまりました。 三人は籠池から帰る途中のかすがの坂で、ある村人たちが 「籠池には大きなナマズが住んでいる」 とうわさをしているのを聞きました。 もえと竹次郎は 「ああそうか。最後にもらったひげは確かに小さく、短かかった。ナマズのひげだったのに違いない。」 「そうね。ナマズのひげだったのね。」 と言い合いました。 さて、池の中にいたナマズはそれどころではありません。 ひげのはずれたままの気のいいナマズは四本のひげを手にもって、何も考えられないほどしょんぼりしていました。 前のようにうまく水中で音を立てたり波を立てたりする楽しみもなくなってしまい、いつも泣いていました。 またあれだけのでたらめを言ったのですから、池の片隅で暗く憂欝な毎日を送っていました。 それらの様子をすべて見ていた布引の滝の本物の龍神様は、このまま放っておっておくわけにはいかないと思いました。 そこで籠池まで行って 「こらナマズ。わしの名前を語るふとどきものよ。おまえをいつまでも籠池に住まわせるわけにはいかない。 罰としてもえと竹次郎の住む村の外れの小さな池に住め。 ただし、でたらめを言ったのは自分のためにしたことではない。その心に免じ、村人を守る鎮守の大役を任せることにする。 おまえのひげも元通りにしてやろう。」 とお告げになりました。 それからは、この里の村人は何か困ったことがあれば、 「籠池の主はありがたい主」 とは唱えずに、手に何か光る長いものを持って、かすがの坂をグルグル回りながら 「かすがの坂のナマズは気のいいナマズ、 かすがの坂のナマズは気のいいナマズ」 と唱えて願掛けをするようになったそうです。 |