おイネ狐の話


 昔々、この葺合村に、欝蒼(うっそう)とした木々が覆い繁った壮厳な神社があり、その神社の参道近くには、小さな商店が立ち並んでいました。
 その商店の中に、よろず屋を営む松吉という人がおりました。松吉は働き者で、朝早くから、夜遅くまで一生懸命働き、その上、神様の信仰も深く、毎朝、神様に両手を合わせ、お祈りをします。

「どうぞ、今日も災難がありませんよう、お守り下さい。」
 また、タ方になると、
「今日も一日、お守り下さり、ありがとうございました。」
と、手を合わせ、お祈りをする。そんな毎日でした。
 又、境内にはお稲荷さんも祀(まつ)ってありました。そのお稲荷さんを祀ってある祠(ほこら)の裏の小高い丘には、一匹の若い牡狐(おすぎつね)が、穴を掘って住みついていました。
 松吉さんは、その狐の世話をし、小太郎と名付けて、可愛がっていました。松吉さんは働き者でしたが、まだ一人者でいつも小太郎狐に油あげをあげながら
「お前も一人者なんやなぁ。早くお嫁さんが来るとええのになぁ。」
と話していました。
 稲刈りも終わったある秋の夜: しとしとと雨が降っておりました。そろそろ寝ようかと、松吉さんが神社の方を見ると、境内にポツボツと灯りが見えます。
…おかしいなあ。境内の提灯は神主さんが消したはずやのに…と思って、外に出てみると、しとしとと降る雨の中、手に手に提灯を持った裃(かみしも)姿の行列が境内を進んで行きます。

 真ん中の大きな傘の下には、文金高島田(ぶんきんたかしまだ:髪型)に角(つの)かくしの花嫁さん。
 行列はしづしづお稲荷さんの方へ行きます。松吉さんが目をこらして、その行列の者たちの顔を よくよく見ますと、それは、皆、狐でありました。
…狐の嫁入りや!…
松吉さんは、そう思ってそっとその行列の後からついて行くと、お稲荷さんの祠の前に裃をつけたあの小太郎狐が、花嫁の行列を待っておりました。
…そうか。そうか。小太郎がお嫁さんをもろたんやな。
…よかつた、よかった。…
松吉さんは、そっと家に帰りました。
 翌朝、松吉さんは、お祝いに油あげをどっさり小太郎とお嫁さんに届けました。松吉さんは、小太郎のお嫁さんをおイネと名付けました。神仕の森で小太郎とおイネの幸せな幸せな暮らしが始まりました。
 おイネが嫁に来て、まもなくの事、松吉さんにも、縁談がまとまり、お嫁さんが来ることになりました。お嫁さんは、隣村のお勝さんという名で、かわいくてしっかり者と評判の娘でした。

 いよいよ松吉さんとお勝さんの婚礼の日がやってきました。婚礼は神社の社務所を借りて、とりおこなう事になりました。村の人たちも皆、手伝いに来てくれて、神主さんも結婚式の準備に大わらわです。
 うれしい話で、和気藹々(わきあいあいあい)のうちに時がたちました。夜になって、そろそろ、お嫁さんの行列が着く頃、今まで暗かった境内が、急に明るくなりました。

 皆が外に出てみますと、鳥居の所から参道の両側に、手に手に提灯を持った裃姿の人たちがずらりと並んでおります。村の人たちは、不思議そうに
「はてさて、今まで見たこともない人たちじゃが、誰やろか。」
と、首をかしげているうちに、花嫁さんの一行が鳥居(とりい)の所に着きました。
すると、提灯を持った人たちは、一斉に座って、花嫁の足もとを照らす様に、提灯を下に置きました。その時、その人たちの袴(はかま)の横から、黄色く太い尻尾が…見えました。
松吉さんも、村の人たちも、納得して、
そうか、小太郎とおイネの一族の狐達が、
お祝いに来てくれたんやな。
と、思いました。
松吉さんも、婚礼を祝ってくれて、
ありがとう、ありがとう、
と、感謝して、婚礼のご馳走を分けてあげました。
お勝さんも働き者で、毎朝早く起きて、御飯をたいて、商いして、境内の狐夫婦とも仲良くなりました。
 冬が来て、狐たちは穴の中で眠りに入りました。松吉さんとお勝さんは、寒い冬も朝早くから、ふたり力を合わせて働き、仲良く暮らしました。

 長い冬ごもりが終わって、春がやってきました。
ある月の明るい夜の事、境内に何やら、かわいらしい声がします。それは、あの狐夫婦の住む丘の辺りから聞こえてきました。
 松吉さんとお勝さんが行ってみますと、 何と丘の穴の前に狐の赤ちやんがいました。それも十二匹も。小太郎とおイネもいました。

  おや、おや、
  まあ、まあ、
  同とかわいらしい
  子供達は、穴から出たり入ったり、
  ぴょんぴょん飛んだり
  はねたり
小太郎とおイネは、子供達から目を放さず見守っています。
お前達は、お父さん、お母さんになったんだね。

 それからまもなくしてお勝さんも元気な男の子を出産しました。
  松吉さんは思いました。
小太郎狐と出会って、私も良い嫁をもらい、元気な男の子を授かった。これで跡継ぎもでき、商いも順調にいくやろう。この狐達は、お稲荷様が私たちにつかわしてくださったんやなあ。
 松吉さんは、神様からいただいた「良縁・安産」のお恵みを村の人たちや仲間たちにも分けようと思いました。
 神主さんとも相談し、石工にたのんでおイネ狐の身ごもった姿を彫ってもらいました。 これが今も二宮神社の境内のお稲荷様の前にある狐の石像だという事です。 この石像に祈れば、良い縁を授かり、この石像のお腹をさすると、安産うたがいなしという事です。そして、松吉さん、お勝さん夫婦の子孫が、今も二宮市場で一生懸命働いているそうです。

 「おイネ狐の話」は二宮神社とそのすぐ近くにある二宮市場のお話です。
 二宮神社の祭神は天穂忍耳尊が主神で、まだ生田神社が砂山に祀られていたとき水害があり、ご神体を一時的にこの地に安置したのにちなみ生田の裔神八社の一つとしてここに祀られたのが起源と言い伝えらていれる。