こころやさしい天狗

 

 昔むかし、筒井町と脇浜町がまだ、筒井村・脇浜村と呼ばれ、そして中という村のあった頃のお話です。
 筒井村と脇浜村、この二つの村をおさめる村長同士は、それはそれは仲の悪い兄弟でした。

 この二つの村は小さな小川が境界線になっていました。その小川が、大雨のせいで筒井村の方へずれてしまい、その土地をめぐって村長同士が喧嘩をしはじめたのです。そして、それが村同士の対立にまでなってしまいました。
さて、この二つの村の村長にはひとりづつ息子がいました。筒井の村長の息子は潤之介、脇浜の村長の息子は正太郎と言います。二人は父親たちと違って大変仲良しでした。

「ほんま、いやになるよなぁ」
「まったくや。なんで仲良くできへんのかなぁ。」
 この二つの村は今の神戸がそうであるように、海と山に挟まれておりました。
 二人は話しながら、いつものように山へ芝刈りに入っていきました。
 話しに熱中していて、今日はいつもより山の奥まで入ったのでしょうか。目の前に一軒の家を見つけました。
(誰が住んでいるのだろう)と、ふたりは家に近づきました。するとその家からとても美しい少女が出てきて、ふたりに話しかけたのです。

「ふもとの村の方ですか?」
「あ・・・はい。脇浜村の正太郎と言います」
「筒井村の潤之介です」
「私はマヤと申します。」
 マヤは小さい頃に両親を亡くし、今は優しいおじいさんに引き取られて、この山の中で暮らしているのでした。このおじいさんは、マヤをとても大切にし、かわいがってくれるので、マヤもこのおじいさんのことをお父さんのように思っていました。
 この少女に会ってから、正太郎と潤之介は毎日山に入り、マヤに会いにいくようになりました。
そのころ、村では「山に住んでいるあの娘を嫁にすると、その家は繁栄する」という噂がたち始めました。
「ぜひ、うちの息子の嫁になってもらおう」
 息子がその少女と仲のよいことを知っていた二人村の村長は、それぞれにそう考えました。 二人は今日もマヤに会いに山へ向かいます。
「潤之介、お前、マヤのこと好きやろ?」

 山道を歩いていると正太郎がそう言い出しました。
「それは正太郎もやろ?」
 潤之介がそう聞き返すと、正太郎もうなずいた。
「二人とも、どうしたんですか?」
 ふたりが立ち止まっていると後ろから声が聞こえた。振りかえると、マヤが洗濯物の入ったカゴを持って立っていました。
「あ・・・いや、なんでもないよ」
慌てて、そう答えた潤之介に対して、正太郎はすぐに「重そうだね。持つよ」と、マヤの手からそのカゴを取り、歩き出しました。

 そんなある日、いつものように洗濯物を持って近くを流れる小川に行こうとしたマヤを脇浜の村人が偶然見つけました。

(しめた、あの娘を連れて帰れば村長から褒美をいただけるぞ)
そう考えると、その男はマヤに襲いかかりました。
「なにをしてるんだ!!」大きな声に驚いて男が振りかえると、そこには正太郎が立っていました。男は安心して、自慢げに「正太郎さんじゃないか。この娘を村長がぜひ正太郎さんの嫁にしたいと言っていたから、連れていこうと思ってな。手伝ってくれよ。」と言います。
 正太郎はその男を、思い切りぶん殴りました。
「勝手なまねをするな。マヤに手荒なことをすると俺が許さないからな!!」
 正太郎は男にそう言い、マヤの手から落ちた洗濯物を拾い集めながら、
「ごめんね。怖かっただろう。」
 怖くて泣きそうになっていたマヤは、正太郎の顔を見ると、ようやく落ち着いて、
「ありがとう。助けてくださって」と小さな声で言いました。
 マヤは自分を守ってくれた正太郎の事が好きになっていったのです。

 マヤのおじいさんは、毎日やってくる2人の若者が嫌いでした。だっておじいさんはマヤをとても大事にしていて、ずっと二人で暮らしていたいと思っていたのですから。マヤをお嫁に出すなんて、思ってもいませんでした。それもこんな仲の悪い二つの村の中に、かわいいマヤをお嫁にいかすなんて、もっての他です。? 優しいおじいさんは、夜が更けてマヤが寝たのを確かめてから、山を降りていきました。 その夜、ふもとの村は急に大変な嵐に襲われました。雨は洪水を起こし、土地までをも流しさり、暴風は家を吹き飛ばしました。

 その嵐のさなか、荒れ狂う小川の水面に、一人の天狗が立っていました。その天狗が、やつでのうちわを大きく振ると、大嵐が起こり、顔を真っ赤にして一つ歯の高下駄を踏みならすと雷が起こり、手にした長い杖を振り回すと雨が空から滝のように落ちてきました。
 そうです。その天狗こそが、あのマヤのやさしいおじいさんの本当の姿だったのです。天狗は怒り狂ったように、やつでのうちわと、長い杖を振り続けました。 一夜明けると、二つの村は水浸しで、村の境界線になっていた小川もどこか分からなくなっていました。

 村長は集まってきた村人たちに号令しました。
「昨日の嵐で、小川が分からなくなってしまった。境界線には見張りを立てろ。それから、隣の村長の息子が、あの娘のところへ行かないようにも注意しろ。」 (このすきに娘まで取られてはたまらない)
 と、お互いの村長は考えて、息子たちを村の外には出さないようにしました。
 みんなマヤのおじいさんの思った通りになりました。二つの村の仲をさらに悪くすれば、息子達も村から出られなくなる。全てはマヤの幸せため・・・・そのはずでした。

 マヤのためのはずだったのですが、マヤの元気が日ごとになくなっていきました。マヤが悲しそうに涙を浮かべている日があったりします。
「マヤ?どうしたんだ?なんで泣いているんだ?」
 マヤは、涙に濡れた目で、
「おじいさん、二人が会いに来てくれないの・・・・私、嫌われたのかな?」
と言い、声をあげて泣き出してしまいました。
「おまえ・・・・もしかしたら、ふもとの村の男が好きだったのかい?」
 そっとうなずくマヤに、おじいさんは心が痛みました。マヤのためと思ってしたことなのに、逆に悲しませてしまったのです。
「大丈夫だよ、マヤ。今はちょっと村が大変で忙しいだけだよ。落ち着いたら、きっとまた来てくれるさ」
「ホント?」
「あぁ・・・」

 おじいさんはマヤを悲しませてしまったことを後悔しました。でもやはり今起こっている村の騒動に、大事なマヤを巻き込ませるわけにはいかないとも、思いました。
 その夜マヤが寝入ってから、おじいさんは再び村へ下りました。
 月明かりの下、筒井と脇浜の村人が小川を挟んで向かい合って立っています。見張りは、深夜でも交代で行われていたのです。突然、虫の声がやみ、木々がざわめき始めました。

 するとその時、川の上をものすごい突風が吹き、二人は一瞬目を開けていられなくなり腕で目を覆いました。そして、そっと腕をのけると
「う・・・あ・・・・ぁ・・・ば・・・化け物!!」
 ・・・・川の水面に天狗が立っていた・・・・・
「う・・・あ・・・・ぁ・・・ば・・・化け物!!」
 二人は驚きのあまり、腰を抜かしてその場に座り込んでしまいました。
「村長に伝えろ」
 天狗の低い声が響き渡ります。
「二つの村で協力し合い、この川を元通りに戻すのだ。この両村の間に本当の絆が生まれた時、訪れる幸福は二つの村のものになるであろう」
 それだけを言い残して、天狗の姿は消えました。

「寝ぼけてたんじゃないのか?」
翌朝、報告に来た村人に筒井の村長は言いました。そこへ、また一人村人が慌てた様子でやってきます。
「脇浜の村長が『話があるから川まで来い』とのことです」
筒井の村長は川へと出かけました。
「なんの用だ?」
お互い、顔を合わせると、いつものように喧嘩腰になります。
「天狗の話。聞いたか?」
筒井の村長はうなずき、どうしたものかと考えます。天狗は協力して川を元に戻せば、二つの村の幸福は共通のものになる・・・と、言ったという。
しかしいまさら村長二人は「協力し合おう」とは言い出せない。その様子を見ていた息子の正太郎と潤之介が言いました。
「父さんたち、いつまで意地張り合ってんだよ!」
「そうだよ。川を今まで通りの流れに戻せば、騒動はおさまるんだから。村の人たちも、見張りに疲れてきてるはずだよ」
 それを聞いた村人たちは、息子たちに賛成しました。今までになかった息子たちの発言に、父である村長二人は協力し合うことにしました。

「あぁ、これは筒井側の川原に持って行って。それは脇浜側ね」
「そろそろお昼なんで、キリがついたら食事にしてください」
 協力し合うことを決めた日から、正太郎と潤之介が指示を出し修復作業が進められていきました。マヤのおじいさんである天狗は、二人のそんな様子を、陰から見ていました。
 最初はあまり協力的ではなかった村人も、だんだんと二人に従うようになっていきました。修復作業をはじめてから2ヶ月が経とうとしたころ、とうとう川が元通りの位置に戻りました。
「わーい、やっと元通りになったぞ。」「よくがんばったなー。」と言いながら、筒井村と、脇浜村の村人たちは、村に関係なく肩を抱き合って喜びました。その村人達から少し離れたところに、村長二人もまた並んで立っていました。息子たちの働きを一緒に見ているうちに、村長同士も仲直りしていたのです。

 作業が終わった日、正太郎と潤之介は2人でマヤに会いに山に向かいました。
 マヤは二人が来なくなってから、日が暮れるまで縁側でぼんやりと、毎日を過ごしていました。
 落ち葉を踏む音を聞いてマヤが振り返ると、二人がそこに立っていました。マヤはびっくりしましたが、嬉しくて縁側から飛び降りて、二人の方へ駆け寄りました。
「村の方はもういいんですね?」
「うん。全部うまくいったよ。」
「なかなか会いに来られなくて、ごめんね」
「いえ、いいんです。こうして、また会いに来てくださったんですもの。」
 そういって涙ぐむマヤに二人があわてていると、家からマヤのおじいさんが出てきました。

「マヤ、お前もそろそろ山を下りた方がいいのではないか。」
「おじいさま?」
「私もそろそろ、元の生活に戻りたくなった。」
「何を言っているのですか?」
おじいさんはマヤの言葉には答えずに、正太郎と潤之介の方へ向き直りました。
「あんなにひどい状態だった村をよく、元に・・・いや、それ以上の状態に戻したな。・・・これでマヤを任せることができる。さあ、マヤを頼むぞ」
おじいさんがそう言い終わると、突然激しい風が渦をまき、おじいさんの体を包みました。そしてその風が治まると、そこにはおじいさんの姿はありませんでした。
「・・・・ひょっとして・・・・あの人が天狗だったのか?」

「大丈夫か?マヤ」
 正太郎の言葉にマヤはゆっくりとうなずきました。
「さっき、風の音と一緒に声が聞こえたの。『幸せにおなり』って・・・」
その言葉をきいた潤之介は、正太郎の背中をマヤの方へと押しました。
「ちゃんと、幸せにしてやれよ。でないと・・・また天狗が現れるぜ。」
 潤之介もマヤのことが好きだったのですが、マヤが正太郎を好きなことを知っていた潤之介は、そっと正太郎の肩をマヤの方へ押したのです。
 マヤの顔が真っ赤になりました。そんなマヤの様子を見て、正太郎も赤くなりながら、でも、きっぱりと「一緒に、村へ降りよう」と言いました。

 それから、また数ヶ月が経ち正太郎とマヤの婚礼の儀が行われました。それからというもの、天狗、いや、マヤのおじいさんが言った通り、どちらの村も毎年豊かな稔りの収穫を納める、仲の良い村になりました。
 正太郎、潤之介、そしてマヤをはじめ村人たちは、そんな天狗を祭るために・・・そしていつでもマヤに会いに来られるようにと、天狗が現れた川辺に神社を建てました。
 その神社が、現在の葺合センター街通りにある「中村八幡神社」かもしれないと言うことです。神社の横の木の上から、時々天狗が覗いているということですよ。

「こころやさしい天狗」は葺合センター街あたりにあったお話です。
 中村八幡宮は旧中村の氏神で祭神は応神天皇。生田の里から移り住んだ長老が石清水八幡宮から勧請し中の八幡宮と呼んだのが始まりと伝えられています。